広告
ad-02.jpg
banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2007年03月03日
いろいろ壊れたパソコンを直そうと試みたけど、結局直せないことが判明。

結果だけ書いちゃうとハードディスクがだめになったようです。
※ここからはパソコンに興味ない人は見ても???かもしれません。

相当復旧させるために試みた。
○なんとかセーフモードで起動できないか頑張る。
  →無駄な努力だった

○英語版Windows XPのCDを入れて回復コンソールで修復
  →使い方がわからず挫折

○興味本位で以前ゲットしたUbuntu(Linux)のCDで起動し
 データを救出。
  →Live CDではNTFSを認識しないことが判明
   もしかしたら認識するのかもしれないけど

○別途ゲットしたSLAX(Linux)がNTFSを認識するという
 情報をもとに使ってみる。
  →自分のパソコンでは正しく表示されないことが判明

○さらに英語版Knoppix(Linux)で挑戦
  →NTFSは認識するが英語版なので日本語を認識せず。

○さらに日本語版Knoppixを入手、挑戦。
  →ハードディスクは認識するが、非常に不安定で
   ときどき認識しなくなる。
  →でも、本当に大切なデータ(デジカメ写真)は一応
   救い出せた気配がある。でも、実際はなくなって
   みないとわからない…。

○自分のハードディスクに入ってるBIOS上でやるリカバリー
 をやることにしたら、ハードディスクがないと言われる。

つまり、ハードディスクが壊れていて、認識したりしなかったり
するみたい。

残された道は内蔵ハードディスクを入れ替えて、Windowsの入れ替えをするだけ。でも、今使っているパソコンはLet's Noteという機種でハードディスクが少し特別。
普通のものより高いことも判明。
だからといってヒョイっと新しいパソコンにするわけにもいかないし、でも、パソコンないと困るし、もうほんとに困った…。

それにしても、日本から持っていった外付けのハードディスクと、カナダで買った外付けのDVD-R/Wドライブがこんなところで役に立つとは。

これを機に今はパソコン買えないけど、次に何を買うか考えようかな。でも、Windows Vistaはいろいろコピーガードとかうるさそうだし、MacBookあたりを買いたいなぁ。

でも、その前にハードディスクの入れ替えを試みてみよう。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
昨日の朝、キッチンへ行くと日本人スタッフのSatchieがブラジル人スタッフのFelipe(男)に何か夜中トラブルがあったと教えてくれた

でも、そのとき具体的に何があったかは、まさに出かけようとしているSatchieから聞くことはできなかった。

で、本人を捕まえて聞いてみると、驚くべき話をしてきた。

夜中の4時過ぎ。ドミトリー(相部屋)で寝ていたFelipeは自分に何かが起こっているのに気がついて目が覚めた。目を開けてみると暗闇にひざまづき、Felipeのパンツに手を伸ばす男の影。というか、パンツはすでに半開き。

「何してんだ、お前!!」と夜中にさけぶFelipe。
あわあわしながら、ひたすら謝る男Jose。Joseは英語が得意でなく何か言い訳をしているらしい。「I wanted to ******* with your *******(放送禁止)」とか言ってたらしい。

あまりの怒りに震えるFelipe。
「今すぐこの宿を出て行かないと殴るぞ!」とJoseを夜中の4時に追い出したらしい。

もともと自分たちのなかで、Joseはゲイでないかと疑惑があった。でも、別にそれに関しては気にしていなかった。
カナダに来て、数人のゲイの人たちと知り合って変な偏見はなかったし、悪い人じゃなかった。むしろいい人だと思っていた。

でも、我慢できず夜這いをかけてしまったJose…。

真冬、しかも夜中のオタワの街に放り出されたJoseがどうなったか誰も知らないけど、それを知った僕たちは本当に驚いた。

そして、同じ部屋にいたJohnはJohnでわけのわからないことを口走っていた。Felipeの叫び声を聞いて目を開けたとき、Joseのスピリットが部屋からバッと逃げていくのを見た。あんな経験は初めてだとかなんとかかんとか。
彼は彼で神のお告げで何年後かに経済が崩壊するとまじめに言ってみたり、オタワは神のスピリットが集まりやすい場所だから、うんちゃらかんちゃら言ってみたり、わけがわからない。

去っていった夜這いJose。神がかりなJohn。
このバッパーには意味不明な人が山ほどいます。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2007年03月01日
日本を旅立って早9ヶ月。
なんかいろいろ壊れたり、無くなったりしている。いったいこれはどういうことなんだろう。

事の発端は中国で携帯をなくしたこと。
そして6月初旬にニューヨークでデジカメを落として壊す。
そして今年2月にそのデジカメが盗まれた。

そして、そして今回。

今まで日本→ニュージー→日本→カナダと使っていたパソコンが壊れた…。

あ、ありえない…。

今、なんとか復旧できないかと格闘中。このブログは別のパソコンで書いてる。

パソコン分からない人には???な話だけど、まずセーフモードで起動しない。選ぶ画面が出てきて選んでもダメ。回復コンソールを使おうとしたら、最初はWindowsはどこですか?と聞いてきたのに、今じゃハードディスクがありませんと言い出す始末。

きっとハードディスクがやられたんだと思う。

だから、どうがんばってもWindowsが生き返ってもハードディスクが亡くなってたらアウトなんだけど、それはそれでがんばってみる。
ハードディスクが完全にだめになっているわけでもないみたいだし、というのも認識されているときもある。

今はリカバリーディスクをCD1枚に焼く方法を見つけてダウンロードしたりデータをまとめたりしている最中。

なんか呪われてる…。
絶対に何かがおかしいぞ。

デジカメはまだ買い換えられるけど、パソコンは高いなぁ。どうしよ、ホント…。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2007年02月28日
住んでいるバッパーが今週の月曜日から工事を始めた。

改装するらしく、4ヶ月くらいに渡ってあちこち作り替えられる。それに伴い、今日、急きょ引っ越しをすることになった。

行き先は。
South America。

そう。あのSouth Americaです。あそこはここと比べて、暖かいし日の光に満ちあふれた生活を送ることができるはず。
そして、今度の金曜日にはAustraliaへ行きます。



と、言ってもこれバッパー内での引っ越し。
うちのバッパーの部屋とベットには全て名前が付けられている。

North Americaルームには
 ・Inuit
 ・C.N. Tower
 ・Statue of Liberty
などと言ったベッドがある。

ちなみにAsiaルームには
 ・Fuji-san
 ・Kimchi
 ・Great wall of China
などのベッドがある。

そして今回お引っ越しするのがSouth Americaという部屋。ここにはベッドが4つあって普段はドミトリー(相部屋)として使われるが、僕たちがいるあいだは貸し切り。
そして、金曜日からはプライベートルームのAustraliaへ行く。

今まで僕が使っていた部屋はExplorerという地下にある部屋。地下にある部屋はちょっと命名ルールが違っていて、Dancing Sky、Astral shadow、Crypton、Star sea、Iceberg、Antarcticaなどとなっている。

あと隣にも家があって、そこにはる部屋はNeptune、Pluto、IO、Ganymede、Europaとなっている。
これは海王星と、冥王星と、木星の衛星になっている。あとIO、Ganymede、Europaがある場所をまとめてJupiter(木星)と呼んでいる。

正直全部の部屋とベットに名前がついているのは覚えるのも大変だし、ベッド管理も面倒なんだけど、それはそれで味があって好き。

あ、そうそう。ここ最近は駐車場にも名前を付けた。車が停まるだけにSuzukaとか、Monacoとかそんなカーレースにちなんだ名前が付けられている。

ということでSouth Americaへ引っ越します。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年12月15日
クリスマスソングで「Silent night♪ Holly night♪」という曲があるのは、みんな知ってると思うけど、それのマオリ語版があるのを小学校で知った。
さすがRotorua、マオリ文化が色濃いなぁ〜と思った。
歌詞はこんな感じ。

Hangu te po,
Tama te po,
Marino, Marama.
Ko te Whaea me te tama
Tama tino tapu rawa.
Moe ma i te marie
Moe ma i te marie

読み方はほぼローマ字読みでOKなので、歌うのも簡単。
ハング テ ポ
タマ テ ポ
マリノ マラマ
コ テ ファエア メ テ タマ
タマ ティノ タプ ラマ
モエ マ イ テ マリエ
モエ マ イ テ マリエ

こっちの小学校の集会では、英語1番3番、マオリ語2番で歌っている。

実際なんて言う意味なのかは不明…。
ただ、Moeはsleepらしい。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年12月11日
別の記事でも書きましたが、早くて1月の下旬、遅くとも2月の上旬からニュージーランドを旅します。

そこでこのブログを見てくれている皆さまにお知らせです。その期間旅をしませんか?
今ニュージーにいる人でも、今は日本にいる人でもOKです。

今、ザッと計算をしたら、もし2月1日から3月14日まで旅をしたとして
宿代:1泊20ドル×42日=840ドル  もちろんバッパー生活
飯代:週50ドル×6週=300ドル    もちろん自炊
ちなみに1ドルは85円くらいです。
そのほかガソリン代や、アクティビティー代、日本から来るなら飛行機代はかかるけど、普通にツアーとかで海外へ行くよりはムチャクチャ安いと思うんです。人が増えればその分だけ割り勘でいろいろ安くなるし。

日本にいる人はこれを機に会社長期休暇を取って、リフレッシュしませんか?
ニュージーにいる人はこれを機に一緒に旅をしませんか?

もちろんその間ずーっと一緒じゃなくてもOKです。ある期間からある期間まで参加でも良いです。

興味ある人はメール(wachi_nzのあとに@yahoo.co.jpをつけて)をください!待ってま〜す。
質問・相談も受け付けてます。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
えっと、どのタイミングでここに書こうか迷っていたけど、なんとなく時期なども決まったので書いておこうかと思う。

ニュージーランド思っていたよりも早く帰国しそうです。

と、言うのも次の国のターゲットをカナダにしたからです。カナダのビザを取るには出国予定日の3ヶ月前にビザの申請書が大使館に届いてないといけないらしい。そして、ビザを申請できるのは30才まで。ちなみに誕生日が7月16日で31才になります…、
NZ来たのが7月2日出国3日着だから同じ日をカナダの入国日に設定すると

2006年07月02日 出国
 ↑
2006年04月02日 申請書が大使館に届く
 ↑
2006年03月中旬 日本に帰国そして申請準備

って感じになるかな。帰国後は出国まで短期のバイトを探してお金を補充するつもりです。ニュージーランドは基本的に出費ばかりだったので、次は語学学校にも行かないし入金ばかりにしたいなぁ〜なんて思ってる。

それとできれば、カナダへ行く前、6月中旬か下旬にオーストラリアのワーホリビザも申請してカナダ終わったあとオーストラリアに飛んでも良いかな?と考えている。

まだまだ予定は未定。どうなるのかなんて全然わからない。
日本に帰る前にNZで運命的な出会い、人だけじゃなくて仕事とかでも、があるかもしれないし、それらは日本でもカナダでも、どこでも十分起こりうることだと思う。

でも、目指すところなく日々過ごしているのもイヤだし(日本にいるときは目指すところなく過ごしてたけど)とりあえず計画を立てるのは良いことなんじゃないかな?と思う。

---------

それと、そんな遠い話ばかりじゃなくてNZにいるあいだの話も。

年内はRotoruaで過ごします。そして、年明けは幾つか話があって、それの実現具合によって時期は違うけど遅くとも2月までには南下を始めます。そして2月3月は南で過ごそうかな?と計画中。

※そこでこのブログを読んでくれている方に。
2月3月南島(もしくは北島からでもOKです)を旅、一緒にしませんか?ずっとじゃなくてもある地点からある地点までとかでもOKです。荷物の具合もあるので大人数は無理ですが(車2台とかなら有りだけど)。時期はまだ未確定なのでどうにでもなります。
今、日本にいる人で旅行でも可です。ツアーでは行けないところたくさん回れます。そして、ツアーより安いです。英語はあてになりませんが、ホテル取るくらいはできます。
興味ある方は「wachi_nzのあとに@yahoo.co.jp」までメールください。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
昨日すごく嬉しいビックリプレゼントを小学校でもらった。

なんと中学年の子供たちが、僕たちに今までのお礼をしてくれた。

僕ともう1人の人は、そんなお礼なんてしてもらえるとは思っていなかった。最初、中学年の朝礼に参加するだけだと思っていた。そして、僕たちはいつものように朝礼に参加して、眺めていただけだった。
でも、途中でみんなの前にある椅子に座らされ、先生たちからお礼の言葉をもらい、さらに子供たちが1人1人が作ったお礼のカードまでもらった。そして、みんなに歌を歌ってもらった。

泣くことはなかった。でも、手が震えてすごく胸が苦しかった。今までの人生の中でもベスト3に入るほど嬉しい反面、今までの人生で1番かもしれないほど寂しい気持ちになった。
あと学校には5日しか行かない。そして子供たちと会う機会はほとんどなくなってしまうだろう。街を歩いていれば会うかもしれないけど、学校で会うことはもうなくなってしまう。そう思うとその場では喜ばなくちゃいけないのに、ものすごく悲しくなってしまった。

僕たちはお礼に「赤鼻のトナカイ」を日本語で歌った。クリスマスだし日本人にしか歌えない曲ってことで。そのあと、子供たちが今度は英語で同じ曲を歌ってくれた。


小学校へ行って本当に本当に良かったと思う。
きっと僕の人生は、あの学校へ行ったことで大きく変わったと思う。一生今日の事を忘れることはないし、もらったカードを見たり「赤鼻のトナカイ」を聞いたり歌ったりするたびに今の気持ちを思い出すだろう。

そしてこのときほど、ワーキングホリデーに来て良かったと思うことはなかった。

今、僕たちは子供たちや先生にお礼をするために、3日くらい前からあるモノを作っている。それについては、それができたときにここでも報告したいと思います。ものすごく気の長くなるような作業だけど、こんな嬉しいプレゼントをもらったからには寝る時間を削ってでも、完成させて今回のtermが終わるまでにプレゼントしたいと思う。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年12月03日
小学校でダンスパフォーマンスがあった。
各クラスや学年でそれぞれ踊りを覚えて、本番には親たちが見に来るというモノ。子供たちは3週間くらい前から少しずつ授業の中で覚えていった。

こっちのダンスはやはり日本と違う。日本よりももっとアップテンポでノリノリ。
そして子供たちはそういう踊りに慣れていて、楽しそうに腰をフリフリ手を上下させながら踊っている。見ていて可愛かったのはやっぱり低学年の子たち。覚えるときも可愛かったけど、実際の本番もムチャクチャ可愛かった。

こっちと日本の違いは
日本の子供たちは等間隔でキチンとキレイに並ぶことができるし、先生もそれを的確に指示することができる。でも、こっちの子供は等間隔に並ぶことが出来ない。だから、列はグチャグチャ。
並び順も決まっていなく、日本だったら背の大きい順とかだけど、それもバラバラ。並んだ見た目はあんまりキレイじゃないかな、こっちは。
先生も指示のしかたがイマイチだし、そもそもその辺はどーでも良いみたい。

当日なんて僕とか一緒にボランティアをやってる子は親状態。自分たちの子供がちゃんと踊れるかドキドキしながら見守っていた。

思ったんだけど自分に子供ができたら、間違いなく親ばかになりそう。そして、子供たちがいろんな事を覚えていく姿があんなにも嬉しいことだとは思わなかった。

写真を載せたかったんだけど、僕は当日ビデオ撮影の仕事を頼まれてしまって自分の写真を撮ることができなかった。残念。誰かからもらえたらいいのになぁ〜。

ブログランキングに登録してます。
応援クリックよろしくお願いします!


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年11月30日
小学校でここ2週間くらいMaking Paperをしてました。そのあいだは通常、午前中だけ行く学校を午後も行って、紙漉き前日は前準備、そして当日は子供たちと紙漉きをやった。

全部で5クラス、生徒数で言うと150人弱の子供の紙を作っった。

あるクラスは和紙。このクラスは先生が日本人で一番やりやすかった。というか、ここでは主導権は先生で僕ともう1人の日本人の女の子は純粋なヘルパーだった。
そして、あるクラスは、新聞紙から作るリサイクルペーパー。ここからのクラスは和紙作りの功績を認められたのか、完全に僕たちが主導権を握って準備から実作業を行った。
さらに、あるクラスはフラックス(flax=亜麻)を使って紙を作った。あるクラスは卵入れから紙を作った。

子供たちは最初、紙にする直前の状態を見ると「yuck」と不快感を見せていたけど、実際に作り始めると「Fun!」とか「Cool!」とか言ってかなり楽しんで作ってくれていた。
そして、先生たちも知らなかったりして、僕たちの手が空くと「Can I make〜〜」と言って自分のをせっせと作ったりしていた。

その日本人の子と「「まさかNZに来て、紙の作り方を身につけるとは思わなかったねぇ。」と話をしていたくらい、意外なことを覚えた。たぶん今ならかなりいろんな素材で紙を作ることができると思う。コツは覚えたって感じ。

そして、その子と僕は「Mr. Making paper and Mrs Making paper」という変な名前で一時期呼ばれた。あとはchief paper makerとか。

前にも書いたけど、子供たちとも先生たちとも距離が近くなったような気がする。こんなに充実した日々を過ごせるとは思わなかった。

そして、その仕事の功績がさらに認められたのか、今年の卒業生に送るコメントビデオの撮影を僕とその日本人の女の子ヘルパーさんでやることになった。校長先生自ら来てオファーしてきた。

少し前まで正直な話、自分の仕事っぷりに自信を持てないでいた。
子供たちに教えると言うより教えてもらうことばかりで、先生たちの足を引っ張っているかな?とか。でも、そうやって重要な仕事を頼まれたことで自分たちの存在を認めてもらえたのかな?と思えた。
一番イヤだったのは僕たちが去ったあと、同じ意志を持つ人が学校へ尋ねたときに「前の子たちがイマイチ評判良くなかったから、そういうのはやめることにした」と言われたらどうしよう…と思っていた。でも、そんなこともなさそうで、それどころか評価してもらえてすごく嬉しかった。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年11月29日
学校に男の先生(40才くらい)がいる。
ここニュージーランドの小学校では男の先生はあまり多くない。中学校・高校では男性の先生も多いみたいだけど、年が若くなるほどいなくなると聞いた。

その先生は今日初めて聞いたんだけど、先生になって2年しか経っていない。
そして、今週2年目を迎え、晴れて一人前の先生になることができるらしい。ニュージーランドでは大学を卒業して資格を取っただけでは一人前の先生にはなれない。もし、資格を取って数年仕事をしなければ資格は剥奪されてしまうらしい。
そして2年働くと晴れて永久資格みたいなモノをもらうことができる。

彼はその前はイギリスの警察で働いていたらしい。それが何でかニュージーランドの小学校で子供たちを教えている。
そのために大学にも行ってQualificationも取って今に至っている。ってことは35才くらいに道を変えたと言うこと。しかも、大学にも行って。

それを思うと今から何かを勉強して、道を開くことも夢じゃないって思えた。
具体的に何をするか、正直今は漠然としている。日本語教師、児童英語講師、ニュージーで先生、それらが全くの夢ではないってこと。

なんか目の前にたくさんの選択肢が提示されているなぁ。どれを選ぶのが一番良いんだろう。とりあえず、英語を勉強しなくてはいけないことばかりだから、英語の勉強をしながら考えよう。

ランキングに登録してます。
記事に共感してくれた方、同じ道を目指している方
応援クリックお願いします!


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年11月26日
今日は一日雨が降っている。
ニュージーランドに来て初めてかもしれない。一日室内にいるのって。いつも雨だろうが、なんだろうがどこかに出かけていた。

朝少しゆっくり起きて、パソコンをしたり映画を観たり、英語の勉強をしたりしていたら夕方になっていた。そして少し早めの晩ご飯を作って食べた。なんかすごくゆっくりのんびりした一日。

昨日、「Oyoの企み」のOyoさんとメッセンジャーで話をした。
その中で「なんで海外で生活をしているのか」みたいな話になった。僕もOyoさんも基本的に「英語を身につける」ためにこっちに来ている。だから、勉強をしなくちゃいけないし、英語を日常的に使う環境にいなくてはいけないと思っている。
でも、人によっては全然違う目的できている人がいる。それらを否定するつもりなんてさらさらない。それはその人たちの考え方だし、どっちが正しいとか間違っているとかそういう問題じゃない。

「楽しむために」でも良いと思う。でも、楽しむばかりで英語を身につけられないんだったら、別に海外に来なくても良かったんじゃない?と思ってしまう。沖縄でも北海道でも行けばいいと思う。
英語を身につける上で楽しいのは良いこと。でも、楽しむために英語の勉強を疎かにしちゃうのは本末転倒のような気がする。
まぁ、だからといって僕が毎日死にものぐるいで勉強してるかって言えばしてないな、アッハッハ、ハァ

やっぱり海外で生活するからには、ある程度英語を身につけて帰らないと、帰ってから友だちや家族に合わせる顔がないような気がするわけです。彼らが思っているよりも喋れるようになって驚かせるくらいの勢いがあった方が良いと思う。

書き出したら、もう一つ思いついたので連作にします。

と、そんな感じです。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
今日でNZに来て148日が経った。
本当は「150日経って自分がどう変わったか」を書こうと思っていたけど、ちょうど150日目に書く時間があるかわからないので、今日途中経過みたいなのを書いてみよう。

一番重要な英語について。
最初と比べたらだいぶマシになってると思う。
どうしてマシになったと思うか。それはこの前ホリデーで中国に帰国してしまった中国人の友だちが良い指標になったから。最初NZに来たとき、彼が言っている言葉を理解することができなかった。それでも学校でアレコレ話をしているうちに仲良くなって、いつからか一緒に遊びに行くようになった。
そしてある日(8月末かな)その友だちから電話がかかってきて、受け答えにかなり困った。というのも英語を使って電話をするってかなり高度な技なわけです。
それが今は電話で話をすることもできるし、2人で出かけてご飯を食べたり、あーでもないこーでもないと無駄話をすることもできるようになっている。

出国直前はTOEIC300点台前半(!)だった状態からを考えれば、英語は進歩してるかな。
今の英語のレベルは「海外旅行では困らない程度の英語」って感じかな。チケット買ったり道を聞いたり、料理の注文はできるレベル。早く「日常生活では困らない程度の英語レベル」と言ってみたい!

気のせいかもしれないけど、前よりも英語の勉強をしていてキチンと飲み込めるようになった気がする。前は学問として英語を覚えようとしていた気がする。でも、最近は生きた英語を身につけるために勉強をしているという感じがする。

そして身につければ身につけるほど、英語ってムズカシイと思う。でも、その反面、身につければ付けるほど、英語って面白いとも思う。
いろんな国の人がそれぞれ母国語を持っていながら、英語を使ってココでは話をしている。英語を身につければ、相当数の人たちと話をすることができるし、どこにだって行くことができる。それってすごいことだと思う。日本語だけしか話せないのと比べたら世界が10倍にも100倍にも広がると思ったら、楽しくてしかたがない。

-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-=*=-

こっちに来て自分が変わったかどうかはよくわからない。
でも、たくさんの人と話をしたりいろんな人の生活を見たり、いろんなことを経験してきて、これからの自分についての考え方は大きく変わったかもしれない。もしあのまま日本にいたら、今の考え方にはなっていなかったと思う。
日本にいる人に今会ったら「変わったねぇ〜」と言われるのか「うわっ全然変わらないじゃん」って言われるのか、ちょっと楽しみだったりする。

幾つか考えていることがある。実現できるかできないかはわからない。それをするために調整しなくちゃいけないことも、いろいろあると思う。もちろんお金だったり、場合によってはその計画のために数人と話をしなくちゃいけない。
具体的な話は時期が来たら。今は計画以前の状態かな。


と、そんなところかな。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年11月24日
今日はすごく嬉しいことがあった。

今週は午後も小学校へ行っていて、お昼休みは子供たちと校庭で遊んでいる。今日、校庭で男の子たちとボールで遊んでいたら、途中から最近妙に懐いてくれていた女の子(7才くらいかな)と前から知っている日本人の女の子(この子も7才くらいかな)が遊んでくれ!と言ってきた。

で、1人をおんぶ、1人を抱っこしてグルグル回ったりして遊んであげた。
ある程度遊んであげたら、授業が始まる鐘がなって彼女たちは教室に帰らなくちゃいけなくなった。で、僕は子供たちと教室に向かって歩き始めたら、その最近妙に懐いている子が手を繋いできた。まぁ、それだけなら普通なんだけど、僕はSpace 5という教室に行かなくちゃいけず、彼女はSpace 2の子供で自分の教室に戻らなければいけなかった。そうしたら、Space 2の方に強く手を引いて「Space 5に行っちゃダメ」と少し駄々をこねた。
でも、僕が「I have to go」と言ったら、女の子がギューってハグをして(小さい子だから太股のあたり)から教室に戻っていった。

なんかすごく嬉しかった。
やっぱり子供と接するのは楽しい。彼女たちの英語は聞き取れないけど、それでも十分楽しい。

今から日本でもNZでも大学へ行って資格を取ることは正直できない。年齢的にも資金的にも。でも、こういう子供たちと接して得られる喜びは、何ものにも代え難い喜び。日本にいるとき、仕事をしてこんな風に嬉しいと思ったことはない。

この前、日本に「児童英語教師」という仕事があるのを知った。
お国が認めた資格があるわけじゃないけど、だいたいTOEIC700、英検2級くらいあれば、その仕事に就けるらしい。子供と接しながら英語を使う仕事ができるという意味では、すごく魅力的。そして今の僕の小学校の経験を活かせる仕事でもあるから、良いかもしれない。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年11月23日
人がいなくなるって寂しいなと思った。

中国人の友だちがホリデーで中国に帰っていった。3ヶ月のホリデーで帰ってくるのは来年の2月。僕はそのときRotoruaにいないと思う。いるかもしれないけど、確信は持てない。

彼は僕がニュージーランドに来たとき、すでにRotoruaに来て3ヶ月が経っていた。僕よりもずっと年下で、でも僕より100倍くらい英語ができた。今も僕より95倍くらい英語ができる。
最初、僕は彼がいったい何を言ってるかわからなかった。ちょっとクセのある英語をしゃべるって言うのもあるけど、僕自身の英語も不十分きわまりなかった。

でも、時間が経つに連れ彼が言う言葉を理解して、最後は毎週のように遊びに行くようになった。釣りに行ったり温泉に行ったり。

もし彼がいなかったら僕の英語はもっとダメだったと思う。彼が輪の中にいたから、僕は極力英語を使うようにした。彼がいるときは日本人にも英語で話をしていたし。それがあったから今の英語力なんだと思う。今だって不十分だけど、僕は彼にすごく感謝をしている。

正直すごく若くて子供で振り回されたり、ときどきイライラすることもあった。でもいなくなってみると、やっぱり残念な気がする。


そして、明後日友だちがバックパッカーを離れる。一緒にバッパーで生活をしたのなんて2週間とか3週間だし、一緒に遊んだわけでもないけど寂しい。


ワーキングホリデーって普段日本で暮らしているより出会いと別れがすごく多いと思う。それら1つ1つを大切にしながら、良い出会い(いろんな意味で)を大切にしたいと最近強く思う。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年11月22日
バッパー生活を始めて20日弱が経った。

最初の頃は気が張っていたのかイマイチ寝付きが悪かったり、夜中に目が覚めたりしたけど今はだいぶ慣れたかな。最初の頃は「あそこ閉めたかな」とか布団に入ってから気になってチェックをしに見に行ったりしたけど今はあまりなくなった。

ホントいろんな人が来ていて面白い。
イギリス、カナダ、ドイツ、デンマーク、オランダ、イスラエル、南アフリカ?、韓国、台湾、フランスなどなどなど。それぞれ英語にアクセントがあって聞き取りにくいこともあるけど、日本人の僕だってJapanese Englishを話しているわけだから、それは仕方がないのかな?と思う。

この前いたオランダの人は株か何かで儲けている人らしく、今は世界一周旅行をしている最中だと言っていた。しかも、今回が初めてではなく、ほぼ1年中旅をしているといっていた。10ヶ月とか11ヶ月旅をして、残りの期間はオランダで過ごすという生活を何年も続けていると言っていた。60カ国以上行ったって言ってた。

バッパー生活を始めて思ったことは、西洋の人はキッチンをキレイに掃除できない人が多いなということ。僕は夜11時にキッチンを掃除しなくちゃいけないんだけど、とにかく汚い!
多いのは食べ終わった皿とかカップは片づけるけど、作ったときに使った皿を洗わない人が多い。日本人はきれい好きが多いって言うけど、それはあながち間違った考えじゃないのかもって最近思う。

仕事で僕が使う英語はそんなにない。ラウンジに最後までいる人に「この部屋を出るとき、電気を消してね」と言ったり、騒いでいる人に「すみませ〜ん、静かにしてください」と言うくらい。
一応、空き室状況を聞いてあるからオーナーたちが帰ったあとレセプション作業をすることがあるみたいだけど、今のところ夜8時以降お客さんが来たことがなく事なきを得ている。
でも、よく考えたらこっちに来たときは上で書いたような英語も喋れなかったわけだし、それを考えたら自分の英語も成長してるんだな〜と思える。


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
20週目もおしまい。
20週っていまいちピンとこないけど、こっちに来てから日本では梅雨が明けて夏になって秋が来て冬を迎えようとしているって考えると、すごく長い期間なんだなぁ〜と思う。
こっちでは、これから本格的な夏を迎えようとしているのに、クリスマスに向けて家の飾り付けが始まったり、スーパーでクリスマスツリーを売り始めたり「夏のクリスマス」に向けた準備が着々と進んでいる。違和感満点のクリスマスを迎えるみたい。
20w-01.jpgバックパッカーのトイレに貼ってあるポスター。このポスター好きなんだよねぇ。








先週末くらいから「英語を頑張って勉強しよう」とまた思い始めた。
学校が終わって数週間、日常生活では英語ができないなりに死なない程度に生きていた。その「なんとかなる」が「英語を勉強しにNZへ来た」って言う気持ちを弱くしていたみたい。
でも、バックパッカーで生活を始めたら、いろんな人と話す機会が増えて、もっとその人たちと話をしたいと強く思うようになったのと、最近出会う日本人の人たちが明らかに自分より英語ができるのを見て、英語をチャンと身につけようと思ったみたい。
と、言うことで最近は夜の2時間くらいを英語の勉強時間にしている。

木曜日はいつもは午前中で終わる小学校を午後まで続けて、あるクラスで和紙作りの手伝いをした。そのクラスの先生は日本人でその先生のお手伝い。前日は紙の原料になる木の皮をふやかしてハンマーで叩いたり、その紙の繊維を浮かべるための水を作ったりして、当日は子供たちと一緒に和紙を漉いた。
20w-02.jpgまさかNZで和紙作りを体験するとは思わなかったけど、すごく面白かった。
そのがんばり(?)が認められたのか今週火水木金は午後も学校へ行って(普段は午前中だけ)他のクラスの紙作りを手伝うことになった。




そして同じバックパッカーに泊まっている日本人の女の子が木曜日から小学校へ一緒に行くことになった。なんでも、その子はNZに来て、小学校で働きたかったけど見つけられなかったらしく、結果的に僕が小学校を紹介する形になった。

金曜日は学校が終わったあと、Paradise Valleyへ外人の女の子2人(国籍不明)と日本人の女の子2人の計5人で行ってきた。なんかこう書いて思ったけど、今泊まっているバッパーの長期滞在者って女の人ばっかりだ。
ここはニュージーランドの自然を楽しみながら、動物を見て回るような場所。動物園ってほど動物はいないけど、ニュージーランドにいる動物をメインに幾つか見ることができる。
20w-03.jpgそして、なぜかココにはライオンがいて今はライオンの赤ちゃんを触ることができる。ライオンの赤ちゃんは中型犬くらいの大きさで、毛は少しゴワゴワ、肉球はプニプニだった。






今週はとにかく一週間、自分の英語力を考え直した週だったな、はい。

応援クリックよろしくお願いします!


banner_02.gifブログランキングに参加中です。応援クリックよろしくお願いします。
2005年11月16日
先週更新したか良く覚えてない。ブログを見れば良いんだけど、常にオンラインってわけじゃないから、わざわざネット繋げるのも面倒なので、とりあえず今週あったことを書いてみよう。

まず今週からバックパッカーズ・ホステル(略してバッパー)のエクスチェンジワークが始まった。。※詳しくは「突然ですが」を読んでください。

バッパーではいろんな人と話ができるから面白い。
今は台湾の3人と特に仲が良くて、車で10分くらいのところにあるすごくキレイな湖へ連れて行ったり、夜はトランプをしたり、他愛のない話をしたりしている。彼らの方が明らかに英語力が高く、リードしてもらっている感じだけど、英語を話す機会は明らかに増えた。


こっちは日差しがすごく強くなってきている。手と顔はかなり焼けた。日差しがすごく強く日向にいるとすごく暑いのに、日陰に入ると寒い。湿度が高くないし気持ちの良い暑さ。だんだん夏が近づいてきている感じ。
それと陽がかなり長くなってきている。今の時期だと夜8時に夕焼けを見れる。真夏になると10時くらいに日が沈む。だから、だんだんご飯を食べる時間が遅くなってきた。やっぱり明るいうちは晩ご飯を食べる気になれない。

さて、ここ数日で撮った写真を。
19w-01.jpg19w-02.jpg
(左)車を走らせていて目にとまった風景。これぞNZって感じ?
(右)これも「これぞNZ!」って感じかな。この街から50分くらいのところにある地熱地帯

19w-03.jpg19w-04.jpg
(左)右上の写真の地熱地帯で乗れる船のドライバー。
(右)見たままだけど象。この前の土日にサーカスが来ていた。